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東京高等裁判所 昭和48年(く)163号 決定 1973年9月19日

少年 N・O(昭三〇・七・一五生)

主文

本件抗告を棄却する。

理由

本件抗告の理由は、申立人作成名義の抗告申立書に記載されているとおりであるからこれを引用する。

そこで右少年に対する少年保護事件記録および少年調査記録に基づき判断するに、原決定が詳細に認定説示しているとおり、少年はすでに中学一年生のころバイクの窃盗非行を犯し、中学三年生のころには友人と共謀あるいは単独で自動車盗、万引、車上狙等数十件におよぶ窃盗非行を犯し、また夜間に通行する若い女性を待ち伏せて抱きつく暴行も犯した。それ故、少年は在宅試験観察を経て、昭和四六年四月六日保護観察処分に付された。同月一〇日、少年は将来自動車整備士になりたいという希望から二年制の自動車整備扶術学校に入学し、担当保護司の観察下に一年余格別の反社会的行動もなく通学してきたが、前年(四六年)の一〇月ころに自動二輪車の運転免許を取得してからは、オートバイの運転に異常な程興味を抱き、遂には自分の所有するオートバイよりも上等なオートバイを欲しいという単純な動機から、昭和四七年六月および八月に各一台の自動二輪車を窃取する非行をかさねたうえ、この二件の窃盗保護事件について家庭裁判所の調査を受けている最中に、本件の軽四輪自動車や自動二輪車などを窃取する非行におよんだのである。しかもこれらの非行が発覚されないように工作をするようになり、少年の非行性は益々悪質、常習化しつつあると認められる。

少年の非行の原因としては、一つには、少年の性格を理解した適切な保護に当ることなく、放任し甘やかして今日に至つた両親の態度を挙げなければならない。しかし少年自身が欲求に対する自己続制力弱く、短絡的で社会的責任感に乏しく、自主更生の意欲を欠いていたことが最大の原因と考えられる。これまでの保護措置の効果からみても、少年を社会生活の中で指導、教育することによつて、その性格を矯正し、固定化しつつあると思われるその非行性を除去し、少年の健全な育成を図ることは期待できず、少年院の矯正教育にこれをゆだねるのが至当と認められる。当裁判所は少年に対し、自己の責任を深く自覚し、少年院を鍛練の場として、その教育を積極的に受け容れ、自らその人格を鍛え上げて行くことを期待するものである。少年に対し中等少年院送致の決定をした原決定は相当であり、本件抗告は理由がない。

よつて少年法三三条一項により主文のとおり決定する。

(裁判長裁判官 三井明 裁判官 石崎四郎 杉山忠雄)

参考二 抗告申立書(昭四八・八・二〇付少年申立)

抗告の趣旨

鑑別所での話では少年院もほご団も同じような所だとの事でしたが少年院に来てから、少年院と保護団とのちがいがわかり、抗告します。

第一に少年院は仕事(働く)をせず、運動生活職業の事について規律ある生活訓練を受けるよりも仕事(社会に出て)規律ある生活を受けた方が僕にしてはよくなると思います。→性格上の事で考えて見てください。

第二に僕にむいている(生活訓練等を通じて)他人および自分をそこなうことなく独立して生活できる社会人になる所で指導してもらいたいからです。

第三に第三者から考えた僕の性格上どっちにむいているか。

第四に少年院に居れば退院後約一ヶ月家の人にくろうをかけて生活して行くそのかわり保護団では一ヶ月一ヶ月、すこしでもちよ金が出きるので、退院後でも、家族の人にくろうをかけないですむ。(ここにいる間(鑑別所)にこう思つた→もう家族の人に心配はかけてはならないと。)などの理由で抗告します。

第三者としてどちらが僕が速く規律ある明るい、そして他人(人にめいわくをかけない)および自分をそこなうことなく独立して生活できる社会人になれるか。

それから僕が少年院に来たのは裁判官が親のゆうことを聞かないで生活していたので少年院決定となつたのです。

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